2015/02/05

 やっとの思いで帰路についた僕を待ち構えていたのは凄まじい大寒威。氷点下13度という、完全に地球が殺しにかかってきてるとしか思えないような寒さの中で、僕は暖かい缶コーヒーを飲んで帰ることにした。自販機を見つけ、歩み寄る。
 




 ん?






なんか刺さっとる。





 大阪城のキーホルダーが光るその鍵はまさしく自販機を開くためのもの。自販機の鍵は解錠された状態で刺さっていて、自販機の整備中に拉致されたんじゃねぇかと思うぐらい不自然な残り方をしている。
 日本は平和な国ですが、これはあまりにも不用心。僕はしっかりと自販機を施錠して、鍵を管理者に渡すことにした。

 どうやらこの辺に住んでいるお爺さんがこの自販機を管理している模様。しかし、時刻は夜の11時前。紛れも無い深夜のためインターホンで寝ているところを叩き起こすのも気が引ける。郵便受けに入れておけば明日の朝に見てくれるかも、と思ったけど郵便受けが無い。どこにも無い。なぜだ。赤紙対策か。さすが戦時中を生きたジジイは危機管理能力が違うぜ!! だったら自販機の鍵なんか忘れんな!! 馬鹿ッ!!

 僕は迷う。危険性を重視してジジイを叩き起こすべきか。それとも家の前に置いといてジジイがそれを見つけるという賭けに出るか。もしくは、自販機にもう一度刺して放置し何も見なかったことにするか。どの選択肢もリスクが伴い、安易に選択することが出来ない。ジジイを叩き起こせば後腐れ悪い結果になりかねないし、他の選択肢を選んでもし鍵が第三者に盗まれてしまうと僕の中の善良な魂が腐り落ちてしまう。

 氷点下13度の中で僕はジジイの家の前をウロウロと歩き周り、思考を働かせる。自販機の鍵を握りしめながら、今にも泣きそうな顔で玄関と自販機を交互に見渡していた。その直後だった。


 「……君、何してるの?」
 「不審な人物がウロウロしているって通報があったんだけど」


 警察が来た。


 嘘やん。善良な魂を腐れ落ちないように一意専心し、正しい方向はどっちだと足踏みをしている一般市民が不審者扱いされた。

 「いやこっ、こここここの家のひひひとひひに……」

 寒さのあまり凍えていて口が上手く回らない。警察が僕の腕を強くつかみ、「何か持ってるね」と鍵を取り上げて、訝しげな顔で鍵を見つめ、

 「これ君の?」

 僕はかぶりを振る。「いえっ、あのそそそそれはちちちが」上手く喋れない。ここで俺は気づいた。これは最悪のケースだ。つまりは僕を不審に思って通報した人物がいて、警察が来たわけだ。なぜ不審に思ったか。深夜に家の前をウロウロしている人間がいれば、泥棒と思っても不思議ではない。では僕の手中にあったものはなにか? そう、他人のもの(鍵)だ。しかも金銭に直結するであろうもの。今来た警察から見れば僕は完全にジジイの家から自販機の鍵をパクった泥棒にしか見えないのである。

 警察は「とりあえず、パトカー入って」と僕を近くに停めていたパトカーに誘導。ダメだ。これ完全に疑われてるわ。濡れ衣だ。僕は無実だと心の中で思うも口が上手く回らず、警官の質問にも上手く答えることが出来ない。運転席に警察官一人、そして後部座席には僕と警察官が一人座るという、完全に逃走を警戒しているような状況。身分証明書を見せろと言われ、かじかんだ手で手渡す。

 「君はあそこで何をしてたの?」
 「あすすすすこでななぬなも、違ッ」
 「この鍵は君のじゃないよね?」
 「はははい」

 鍵は僕のじゃねぇってことだけが伝わる最悪の状況。警官二人は何やら小声で「ひどく動揺している」「いったんあの家の人(ジジイ)に連絡だな」と相談していた。動揺しとらんわ。氷点下の中で会社から歩いて帰ってんだから寒すぎて口が回らないんじゃ、と思った矢先、やっと普通に喋れるようになってきた。警官が僕に問う。

 「君はこれを盗っちゃったってことかな?」
 「エ゛ェンッ!! ンン゛ッ!! 違います!!」
 「あ、やっと普通に喋ってくれた」
 「自販機に刺しっぱなしで危なかったから渡そうとしただけです!」

 喋れるって本当に素晴らしい。だけど警官は警戒体勢を解くことは無く、運転席に座っていた警察官がパトカーを出てジジイの家に行き、インターホンを鳴らす。するとすぐに家の電気がつき、ジジイが玄関のドアから出てきた。起きてたのかよ。こんなことならさっさとインターホン鳴らせばよかったわ。

 警察官とジジイがパトカーに寄ってきて、ドアを開けられる。そして僕の隣に座っていた警察官が「おとうさん,この鍵見覚えあるよね?」と鍵を見せる。するとジジイは「あっ! 俺のだ!! 良かった無くしてたんだよ!!」と間の抜けた声をあげ、警察官がすかさず「この子が持っていたんですよ」と補足する。いやその説明はどう考えても誤解を招くだろうと僕はすかさず「自販機に刺しっぱなしになってたんです」と付け足す。
 するとジジイは「え? あっ!! そういや俺自販機に刺しっぱなしだったわ!! アヒャヒャヒャ」と笑い始め、やっとのこと誤解はとけてパトカーから出ることが出来た。

 ジジイに何故かものすごく感謝され、「なんか好きなジュース一本やるわ!!」と言ってくれたので思わず僕は「じゃあ、このコーヒーで。そういや僕今日、誕生日なんですよ」と要らないことまで言ってしまった。

 「誕生日!? じゃあこの缶コーヒーは俺からの誕生日プレゼントだな!! アヒャヒャヒャ……」

 そういえば何故ポストが無かったのか、ということをジジイに聞いてみると、「盗まれた」とのことだった。「ポストって盗まれるんだ……」と僕は、暖かい缶コーヒーを静かに飲み干す。氷点下の夜の、不思議な誕生日だった。