中途半端な箱

 今から三年前、僕がネット配信者だった頃の話。

 ツイキャスやニコ生など多くのネット配信サイトを数年間やってきた僕はある程度リスナー数もついており、名前も多くの人に知られるようになっていった(今の名前ではないけど)。

 放送にも色々あって、喋りながらゲームをする配信者もいたり、ただ一日あったことをダラダラと話す配信者もいたりして、その中でも僕はオカルトな話や政治的な話をするのが好きだった。政治的な話は社会を生きる上で知る必要のあることだし、オカルトな話は非現実的でありながら奇々怪々なリアルを味わうことができるという麻薬的な側面もあったからだ。

 しかしそういう話をしていると、中には誰にも話せない悩み事を打ち明けてくるリスナーもいる。いわゆる「霊に悩まされている」だとか、「不思議な体験をして気味が悪いが誰も信じてくれない」といった類の相談だ。しかし僕は熱心な宗教家でもないし、心霊研究家というわけでもない。ただ普通の人よりも現実から数センチ宙に浮いているようなものに興味があって、そういった文献を読み漁っているだけの、いわば知識はあるが経験のない頭でっかちなのである。

 ある日、その旨を伝えるも「それでもいいから相談だけでも聞いてほしい」というリスナーが現れた。メールで連絡してきたそのリスナーは30代の男性で、普段は企業に勤めるサラリーマン。文面から礼節がにじみ出る至って真面目な風貌の男性。実際に会ってみるも頭のネジが何処かブッ飛んだ様子も無く、清潔感に溢れた身なり。駅で落ち合ってからは近くのマクドナルドで話を聞くことにした。

 「ぎゃろさんって、今までこういう相談を受けられたことはあるんですか」

 不安げな、それでいて思慮深さを感じる素振りでサラリーマンは僕に尋ねてきた。歳下の僕にも礼儀を忘れず敬語で話しかけてくるその男性に好感が持てた。

 「あります。が、実際にこうしてお会いするケースは稀です」

 事実、そういったことを相談してくる人は大きく分けて三種類の人間がいた。「精神的に病んでいる人」「気質的に思い込みが激しい人」「それ以外」の三種類だ。霊的な影響で精神的に病んでいる人は「それ以外」に含むが、例えば家庭環境に不満のある女子高生が「私の家には悪魔がいると思います」と言い始めたらまず理由を聞く。それで家族の不満ばかりを打ち明けるような子だった場合は、二度と相手にしない。それは自身の行き場の無いストレスを悪魔という抽象的な言葉に当て嵌めて他人に縋っているだけに他ならないからだ。男女差別をする気はないが女性からはそういった相談が多いため、今まで男性としか直接会ったことはなかった。不思議な事に、女性からの相談は簡単な厄祓いの方法などを教えると自然に良い方向に向かっていく傾向があったからという理由もある。人間の女性は思っていたよりも強い生き物なのかもしれない。

 「今回はいきなり呼び出したりして申し訳ないです」
 「いえいえ。それで、メールで書かれていた件については……」
 「あぁ、はい」

 彼からメールが届いたのは2週間前。業務的な件名を見て迷惑メールかと思って削除しそうになったが、本文を開くとどうも只ならぬ雰囲気を感じたため目を通すことにした。
 要約すると彼には婚約者がおり、同棲して半年になるらしい。そろそろ結婚を考えていて多少感情的になるきらいがあることを度外視すれば理想的な女性らしい。
 「よぉし! ただの自慢メールか! 削除!」と思いながらも読み進めると、文章はこう続いていた。

 ――結婚をする前に、お互いまだ話していないことを全て話すことになったのです。過去の交際歴、過去の過ちなどについてです。しかし彼女は、叔父から預かったという木箱について何も話そうとしないのです。
 その木箱は同棲を始めた最初に日に多くの荷物と一緒に持ってきたもので、私が「これは何?」と触ろうとしたら血相を変えて物凄い剣幕で僕に跳びかかり、「触るな!!!」と怒鳴ってきたことがあったのです。気味が悪くなり、それ以来私はその木箱に近づいてもいません。それが何なのか教えてくれないまま半年を過ぎようとしていたので、思わず「あの木箱って何なの?」と彼女に聞くと、彼女は少し間を開けて「叔父から貰った、お守り」とだけ打ち明けてくれました。私はあの箱がもしかしたら良くないものなのではないかと思ってしまい、どうしようもなくなってメールを送信したのです。


 ……その文章を読んで僕が真っ先に思い浮かべたものは、封印系の箱の話だった。インドから伝わる仏教の儀式であり、清めた箱(ツボの場合もある)の中に何かを閉じ込めてしまうといった概念だ。その内容は両極端で、決して人間が触れてはいけないものが入っているケースが多いのである。ネット上でもそういった類のオカルト話は何件か読んだことがあり、●●●●●などが有名だと思う。
 選択肢は一つ。開けない事。触らぬ神に祟り無しという言葉の如く、今の時点で災いが無いのであれば、開けないのが最善手だ。結局のところ中身が気になるというのはその男のエゴであって、それを開けてはならないとしている女性の判断は正しいと言える。

 が、最悪のケースもある。それに悪いものが封印されていた場合だ。例えば朝鮮の呪術で鉄壺に臍の緒を封じて、呪いを封じるのに神社に納められてたというものなどがある。アイヌが呪術を用いて熊や災いから救われていたように、日本という国においても呪術を用いるケースが多々あるため、呪術的な品が日本に流れてくることもあるのだ。

 それが巡り巡って婚約者の女性の元にたどり着いてしまったとしたら、警戒をしなければならない。本来そういったものは陶器の器などに厳重に入れられ、最低でも二重に器に入れた上で布で包んだり決して誰かがいたずらに開けないような細工を施さなければならない。

 もしその木箱の中には直接「何か」が入っていて、木箱だけで封印しているとしたら、非常に危険だ。そしてそれを自宅に置いておくのも決して良いとは言えない。民家などで保管するとしたら、金庫や地下室など人の手が届かない場所に保管するのがベストだからだ(災害などで不意に開いてしまった時などに、人間へと被害が少なくなるため)。

 「では、あの箱は何なんでしょう」

 サラリーマンが口を開く。僕は知っている限りのことを話した。もちろん正解などわかるはずもないから、辺り一辺倒の付け焼き刃とも言える知識をべらべらと話し、「とりあえず開けちゃダメ」ということだけを伝えるも彼は腑に落ちないらしく、「一度自宅に来ていただけませんか」と彼は言い出した。
 「いや人妻がいるところに行くのはちょっと」と冗談交じりに言うも彼は真面目な顔で「人妻が好きなんですか?」と切り返してきて、「いや興味無いです。人のものには」と僕は彼の家に行くことになった。

 彼の家は待ち合わせ場所から車を二時間走らせた場所で、途中映画に出てくるような田舎道を通った。その間、「この前の配信面白かったですよ」だとか「こういうふうにリスナーに会うのってどんな感じですか?」などとサラリーマンは軽快に話してくれた。が、僕の本心を言えば不安と抑揚がぐるぐると心のなかで埋めいて黒い穴が開くような心境だった。その封印された箱に対峙するという恐怖もあったし、そういったオカルトなものを生で見るということに対しての興味深さもあったのだ。僕の心はぐちゃぐちゃだった。

 今までこういった「触れてはいけないもの」に関する相談が来たことは無かった。大抵が「ポルターガイストに悩んでます」だとかそういったものが多かったため、簡単な除霊と厄祓いに付き合い、風水的に良くない家具の配置があればそれを直す程度で事無きを得ていたためだ。
 今回は違う。最初のメールが来た時点で、どこか言いようの無い多大な不気味さを感じていた。大袈裟かもしれないけど、一歩間違えれば僕の人生にさえも影響してくるのではないかと思うほどだったのだ。しかしこうして直接会ってしまった理由は、瞬間的かつ軽率な判断とその背中を押す興味深さが原因にあったのだろう。

 車はマンションの前に泊まり、僕とサラリーマンは車を降りる。マンションを見上げるも綺麗なものであり、不気味な雰囲気など一切感じない(僕は霊感があるわけではないけど)。サラリーマンがエントランスの壁にあるパネルを操作してセキュリティを解除し、ドアを開けてエレベーターに乗る。僕はその後についていき、彼と婚約者が住むという部屋がある階に辿り着いた。

 この瞬間、急に胃が重くなった。エレベーターのドアが開いた瞬間にむわぁっと蒸気が立ち込めてきたような感覚に陥り、それを鼻から吸い込むと胃に重くのしかかるような感覚だった。足が動かなくなる。恐怖もあったのかもしれないけど、なんだかとても嫌な予感がしたためしゃがみ込んでしまった。
 「大丈夫ですか?」と僕を顔を覗くサラリーマンに「大丈夫です」と返事をして立ち上がり、部屋のドアの前に立つ。サラリーマンがバッグから鍵を取り出すのを見て「あれ、彼女さんは部屋にいないんですか」と聞くと「この時間は働いています。共働きなので。たぶんあと一時間ぐらいで帰ってくるんじゃないですかね」とドアを開けた。

 靴箱の近くに一つだけ置いてある丸いゴミ袋から漂う生活臭。それ以外はホコリも落ちていないほどキレイな部屋で、家具の色も雰囲気も統一している部屋だった。リビングに案内されるもその途中で「ここが寝室です」と横手に現れたドアを指さされたとき、「ここで少子化対策が行われるわけかぁ」とか考えていた。
 リビングのソファーに座ると、目の前にコーヒーが置かれて僕は「いただきます」と一口含んだ。するとサラリーマンが、

 「それで、どうですか」
 「え?」
 「この部屋」
 「あぁ、キレイな部屋ですね」
 「いえ、そういうことではなく」
 「嫌な感じがするかどうかですか?」
 「そうです」
 「正直恐怖心もあるので、そのせいかもしれないから、落ち着いてからでないとなんとも言えません」

 本心だった。その言葉を聞くやいなやサラリーマンは立ち上がり、寝室と言った部屋に入ってしまった。身を乗り出してそれを覗きこんでいると、サラリーマンは赤い布に包まれたものを持ってきた。まさか。

 「これが、その箱です」

 そのまさかだった。胃がぎゅっと痛くなる。絹で出来ているであろうその布に包まれたものは高級感のある光沢に包まれており、握りこぶしほどの小ささだった。確かになるほど立方体の形にふくれており、角の尖り方が浮き出て辺が線を描いている。確かに中身は、箱のようだった。僕は聞く。

 「これを開封したことは?」
 「布だけ開けました」
 「中身の箱は?」
 「開けていません。釘が打たれていて」
 「この布の他に、何かに入っていましたか?」
 「いいえ、これだけです」
 「布が接着剤で固定されていたり、札が張られていたりしましたか」
 「いえ、してませんでした」

 不自然だった。これが何かを封印する箱ならば簡易過ぎる。釘打った箱に入れるだけの封印は基本的に存在しない。それに何か札を張るか、もしくは厳重に容器に入れて開かない細工をしなければ封印としては不自然なのだ。ここで、また嫌なイメージが浮かんできた。

 「……彼女さんの叔父の職業は?」
 「占い師です」
 「どんな占いですか」
 「わかりませんが、独学と言っていたかもしれません」

 的中してしまった。恐らくだが、その叔父らしき人は占いの事を学んでいくうちに中途半端に呪術に手を出し、更には中途半端な封印をしてしまい、いてもたってもいられなくなって婚約者に押し付けた可能性が高くなった。そうであればこれは相当危険な代物である。僕個人でなんとか出来る問題でもない。
 きっとサラリーマンの婚約者は「恋のお守りだ。大変効果のあるものだから、決して箱の中身を開けてはならないよ」などと言われてこの箱を押し付けられたのかもしれない。そうであれば彼女自身もこのサラリーマンとの生活が良い方向に望んでいる以上は開封を許さないだろうし、この中途半端な封印をされた箱はこの家にあり続けることになる。

 箱の中身に札が張られ、木箱の中身だけは厳重になっている可能性も考慮したが、そこまで厳重に保管しているものだったら布に包んで渡したりはしないし、保管方法も指示するだろう。それもしていないということは、これは中途半端な封印の箱である可能性が非常に高くなってくるのだ。僕は眉間にシワを寄せて、どうするべきかを考える。

 「……彼女さんの叔父ってどういう人ですか」僕は質問を続ける。
 「正直胡散臭い人なので、僕は信用していません。……彼女にはそんなことは言えませんが」
 「というと?」
 「彼女はその叔父のアドバイスで恋の悩みを解決してきたのだそうで、信頼しているらしいのです」
 「どういう占いをしていましたか?」 
 「よくわかんないですけど、干支とか使っていました」

 六壬神課だろうなと思った。六壬神課とは干支を用いた中国の占い方法で、2000年以上前に出来たものである。日本でも陰陽師にとって必修の占術であったとされており、日本でもその方法で占うケースは非常に多い。が、決して独学で学べるものでもない。自身がそれを独学として使用しているのであれば正しい方法である可能性は低いし、式盤などの道具も用いるから素人目で見ればハッタリも効いてしまう可能性があるのだ。
 一番危惧したのは、その叔父が読んだという文献の方向性。それが西洋の占いであればまだ救いもあったかもしれないが、今回は中国が起源が占い。もしアジアに重点を置いて文献を読みあさっていたのだとすれば前述の朝鮮における禁術などをかじってしまった可能性だってあるのだ。この封印の方法を見れば、決して勉強熱心だったとも思えない。

 目の前に置かれた箱を、じっと見つめた。眺めていれば吸い込まれそうな威圧感を持ち合わせたその箱はずっと直視することは出来ず、たまに目をそらしたりした。クーラーボックスからドライアイスの煙が溢れ出てきているような、封印しきれない何かが中で埋めいてじわじわと部屋を侵食していっているようなイメージが脳裏に浮かび、ぞっとする。この箱を見つめているだけで呪われるような、そんな不気味な雰囲気を漂わせている。僕は顔を上げて、提案した。

 「これ、もっと厳重に保管しましょう」
 「え? え? どういうことですか?」

 とりあえず、僕が今考えていることは憶測に過ぎなく全てを話せばサラリーマンと彼女の関係に軋轢が生じるかもしれないと考えた僕は「もしかしたら本当にお守りかもしれませんが、大変危険なものである可能性もあるからです」とだけ打ち明けた。「ただそれには彼女さんの同意も得なければいけないと思いますので、とりあえずこれを元々あった場所に戻してきてください」とも続けた。

 サラリーマンは首肯し、箱を寝室に戻してくる。そして沈黙の中僕はコーヒーを飲み干し、婚約者が帰ってくるのを静かに待った。ほどなくして「ただいまー」と間の抜けた声が聞こえ、女性が現れた。僕と向かい合うサラリーマンを交互に見て、「どなた?」と女性は首をかしげた。サラリーマンの婚約者だった。

 するとサラリーマンは「ほら、あの、俺がいつも見てるニコ生(配信サイト)の人」と言うと女性は少し困った顔を浮かべて「あー」と息を漏らし、「結構若い人なんだね」。

 「あ、すみません。おじゃましてます」と僕は頭を下げて、顔を上げるとサラリーマンと目があった。「話すべきか?」「どうしよう」そういった会話を無言で行ったように思えた。サラリーマンがふいに婚約者の方を見て「ちょっと俺の横に座って」と口を開き、女性は言われるがままに座る。何がなんだかよくわからないといった表情だった。僕から話を始める。

 「あの、いきなりで大変申し訳無いのですが、あなたは何かお守りとかお持ちですか?」
 「え? 北海道神宮と明治神宮と……それぐらい?」

 もしかして、アレをお守りとしてではなく別の形で認識して貰ったのか? と思いながらも、質問を続ける。

 「例えば、縁結びですとか」
 「縁結び」

 そう言うと女性の顔は鋭くなり、小声でサラリーマンに「言ったの?」と聞いていた。恐らくあの箱の事を脳裏に浮かべ、僕がその存在を知っていると何か不都合があったのだろう。そして、彼女はきっとあれを縁結びのお守りとして認識して所持していたのだろう。

 「えっと、たぶん僕が知っていても効果に関係は無いと思いますので」

 そう早口で言うと彼女の顔は少し緩やかになったが、次第に怪訝な顔を浮かべて「え、なんなんですかあなた?」と聞いてきた。 「そういうことを調べたりしている者です」と答え、続ける。

 「縁結びのお守りで他人に知られれば効果が薄れるなんてものは聞いたことがありません。霊符とか、そういったものでしたら話は別ですけど。しかしそれは呪術とか、密教の概念です」
 「何が言いたいんですか」
 「僕が知っても大丈夫だということです」なるべく穏やかに言う。「失礼ですが、叔父から頂いたものなんですよね? なんといって渡されましたか?」

 それも話したのか、と言わんばかりに彼女はサラリーマンに一瞥をする。そしてゆっくりと返事をした。

 「はい。決して開けてはならないと」
 「どうして開けちゃならないと言われましたか?」
 「え? あぁ、縁結びの大変効果があるお守りだからと言ってました」
 「どういう状態で渡されました?」
 「どういう状況って、普通にこう」彼女は物を差し出す素振りを見せて、「布に包んで」
 「なるほど」最初からあの状態だったらしい。「僕も占いはかじったことがあるので、ぜひともあなたの叔父とお話がしてみたくて来たんですよ」

 媚を売って、警戒心を解くことにした。サラリーマンが瞬間的に「えっ」と目を見開いたが、僕の考えに気付いたのかすぐに察し「あぁ、そうなんですよね」と持ち直した。すると彼女の表情がいきなり明るくなり、「ぜひ話してみるといいと思いますよ!」と声を高くした。「私何度も叔父の世話になっており、小さい頃から本当に頼りになる人なんです。それで……」などと延々と昔話を聞かされ、僕は適当に相槌を打ち続けた。やがて叔父の電話番号を知る事が出来、「ちょっとすぐに、込み入った相談がしたいので」と席を外して玄関を出た。女性はにこやかに僕を見送り、サラリーマンは不安げな顔を浮かべていた。

 コール音。叔父はなかなか出ない。「いきなり知らない番号からかかっても出ないか」と思った矢先、「はい」と低い声の男性が出た。

 「あ、すみません。僕○○さん(女性の名前)の友人なんですけど」
 「は? え? ○○ちゃんの?」
 「はい。あなたの占いが素晴らしいと聞いて」
 「あぁ、なるほど、なるほど」

 男性の声が緩やかになった。

 「えっと、縁結びの占いとかしているんですよね?」 
 「そうですよぉ。でも君、どこの人?」
 「北海道です」
 「私は京都だから、電話で占うことは出来ないんだよなぁ」

 女性の出身地は関西だったのかなと想像する。聞いておけばよかった。

 「あ、ではお守りの販売などは行っていますか」
 「そういうのはやってませんよぉ?」
 「えぇ? 凄く効果のあるお守りを貰ったって○○さんが言ってました」鎌をかけてみた。なるべく部屋の中には聞こえないぐらいの小さな声で。すると男性は急に黙りこみ、重々しく口を開く。

 「アレの事を話したの? 君に?」 
 「アレって?」
 「お守りのこと」
 「え? 普通のお守りじゃないんですか?」
 「アレはね」男は咳払いをして、「アレはね、私の親族や友人にしかあげないものなんだよ」
 「何の話をしているんです?」
 「だから、箱の事を言っているんでしょ?」

 少し男は苛立った口ぶりでそう言った。やっぱりあの箱は普通のお守りやそういった類のものではなかった。

 「あぁ、そうですそうです。僕も占いの勉強がしたいなと思ってるから、興味深いなーと思って」
 「はぁ」
 「だって箱に入ってるって珍しいじゃないですか。中に何か入ってるんですか?」

 少し語尾を強くして、そう訪ねてみる。すると一方的に電話を切られた。都合が悪くなったのか、僕はすぐにかけ直す。もう一度同じ男が出た。

 「しつこいねぇ君も」男は明らかに苛立っていた。
 「電波が悪くて切れちゃったみたいで」
 「いや私が切ったんですよ」
 「なんでですか? お守りのことを聞いただけなのに」
 「君みたいなねぇ、無礼な人に話すことなんて何もないよ」
 「他人で尻拭いする人に言われたくないですわ」僕も少し感情的になり、そう答えた。
 「何? あれが何か知ってるの?」
 「何か入ってるんでしょ。あの中に」

 核心をつく。するとまた通話が切れて、僕はかけ直す。男は苛立った素振りを隠す様子もなく電話に出た。

 「何がしたいの? 君は」
 「あの箱に関してちゃんと教えてください」
 「なんで君に教えなきゃいけないの?」
 「じゃあせめて○○さんにはちゃんとした説明をしてください」
 「だからあれは縁結びのお守りだって」
 「縁結びのお守りを釘打った木箱に入れるわけないでしょう」
 「……開けたんですか」

 男は怯えるようにそう言って、すぐに通話は切れた。向こうから切ったようで、次はかけ直しても出ない。どうやら確信犯だったようだ。しかし些か僕も感情的になってしまい、あまり生産的な会話が出来なかったことを今でも悔やんでいる。仕方ないから部屋に戻ろうと踵を返すと、中から女性と男性の荒げた声が聞こえてきた。ドアを恐る恐る開けて覗いてみると、さっきの彼女の笑顔とおは一変して修羅のような形相をしてサラリーマンと何かを言い合っている。

 「だからなんで不気味とか言うの!?」
 「不気味だろ!! あんなもの!!」
 「私が大切にしてるものだって知っててそういうこと言うの!?」
 「当たり前だろ!! あんな得体の知れないもの!!!」

 僕が原因で言い争っているのだろうかと思い、部屋に入れずにいた。隙間から覗き込むような形になり、まるで僕が悪趣味を働いているかのようだった。すると女は突然廊下に出て、寝室へと入っていく。思わず少し逃げる体勢をとってしまったが、女性は感情的になっているのか僕には気づいていない。程なくして女性はさっき見たあの木箱を持ちだして廊下に出て、床に叩きつけた。僕はその光景を見て、あっけにとられた。木箱が何度か床と壁を弾くように跳ねて、廊下の上に落ちる。

 「こうすればいいんでしょこうすれば!!」泣きじゃくって冷静ではない女性がそう叫んでいる。これはまずい。僕はじっと床にたたきつけられ布に包まれた木箱を見つめていた。形を見るに、破損している。中の木箱が壊れたのか釘が抜けたのか、氷山のような形で布は床の上で鎮座していた。そもそもちゃんとした封印の箱であればこんな簡単に壊れることはないのだけど、あの叔父がどれだけ杜撰な保存方法を取っていたかが目に取れる。百歩譲ってあれが本当にお守りだったとしても、あれでは悪い結果しか招かない。今となってはその可能性も、多いに低いのだけど。

 よく見れば、乱れた布の隙間から何かがはみ出ている。恐らく箱の内容物だと見て取れるが、隙間から覗きこんでいるためそれが何なのかがはっきりとわからない。その箱を見もせずサラリーマンと女性は口論を続けていた。僕はじっとその黒いものを見つめて、それが何なのかを脳内で識別する。

 その瞬間、黒いものからギロッと人間の目が現れた。目が合い、思わず僕は凍りつく。血走った目で、人間の目かどうかもわからない。まぶたを閉じていた状態から開いたかのように突然一つの目が現れたのだ。本能的に、「殺される」と思った僕は思わず動けなくなり、あれが何なのかを考えるが、抽象的な答えが出るのみだった。あれは、箱に封印された「なにか」だ。そして、恐らく怒っている。
 心の中で、「僕じゃないです」と唱えて目をぎゅっと閉じてしまう。目を閉じた暗闇には、男女の喧嘩の声だけが響いていた。恐る恐る目を開ける。するとその目は無くなっていた。それどころか、木箱もその木箱を包んでいた布もなくなっていたのである。

 「あれ?」と思い、ドアを開けるがどこにもさっきの箱は無い。しかしふと気付いた頃には、サラリーマンと女性の喧嘩の声が止まっており、僕は嫌な予感がして靴を脱いでまたリビングに向かった。

 そこには立ったまま呆然と彼女を見つめるサラリーマンと、青白く間の抜けた顔のまま立ち尽くす彼女がいた。

 「何があったんですか!?」

 僕がそうサラリーマンと女性に言うと、サラリーマンがゆっくりと僕のほうを向き、座り込んでしまった。そして、震えた声でこう言った。

 「何かが彼女の中に入っていって、喋らなくなってしまいました」

 彼女の方を見ると、彼女は死んだような顔色でどこかをぼんやりと見つめている。まるで魂でも抜かれた人形のように立っていた。

 さっきの奴だ。瞬間的にそう思った僕はすぐに彼女を連れてお祓いに行こうと提案した。サラリーマンは歩かない彼女を背負ってエレベーターに乗り、僕もその後に続き近所のお寺に向かう。車に乗り込んで、後部座席は女性を寝かせて運転席は僕が座り、サラリーマンは助手席に座ってひどく動揺しているようだった。僕は静かに、サラリーマンに聞いてみる。

 「何を見たんですか……?」

 サラリーマンは震えた顔を前に向け、こう答える。

「黒い……毛むくじゃらの何かが……彼女の中に……」

 お寺に行き、住職さんに事情を説明するとすぐにお祓いにとりかかってくれるとのことで、僕もついでにお祓いをしてもらった。終始サラリーマンは怯えた様子で落ち着きが無く、最初に会ったときの凛とした態度はもう見られることは無かった。その後は一旦彼女を家に戻してまた車に乗り込み、待ち合わせ場所まで戻った。そして僕は帰宅し、色々と考える。

 その後、サラリーマンからは一通のメールが届いた。あの後何度かお祓いをし、彼女も普通の生活を送れるようになったという連絡は心底安心したし、僕もなぜだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 そして、そのメールの文面はこう締めくくられていた。


 ――その節は本当にありがとうございました。彼女ももう普通に暮らしていて、再来月には籍を入れる予定です。しかし一つ気がかりなのは、彼女があまり元気が無いことです。どうやら叔父に不幸があったらしく、結婚式にも来られる状況ではないようなのです。彼女が無事なのは本当に嬉しいことですが、彼女の叔父に一体何があったのでしょうか……。

 今でもあの木箱は、見つかっていないらしい。